8/9 長崎から全世界へ
- 公開日
- 2016/08/09
- 更新日
- 2016/08/09
校長室より
長崎は今日9日、71回目の「原爆の日」を迎えました。
長崎市の平和公園で開かれた式典には、被爆者や遺族、市民ら約6200人が出席。核兵器保有国の米露英仏中を含め、過去2番目に多い53カ国の代表が参列し、原爆投下時刻の午前11時2分、黙とうをささげました。
田上市長の長崎平和宣言を抜粋して掲載します。
1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。
核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。
(この後、各国のリーダーにも訪問を呼び掛け、核廃絶を訴えています。)
被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。
若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。
若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
(後略)
戦争を知らない世代の責任、語り継いでいく責任の重さ。ひしひしと伝わる宣言文です。インターネットでも見えますので、ぜひ全文をご覧ください。
(画像は長崎市ホームページより)