7/6 けじめをもって
- 公開日
- 2015/07/06
- 更新日
- 2015/07/06
校長室より
今日は、一日雨が降り続き、プールで泳ぐことができませんでした。
明日は、天気はどうでしょう。
天気予報は曇りなので、何とかできるのではないでしょうか。
昨日引用した「校長の覚悟 関根正明著」から、「けじめ」について、述べているところがありましたので紹介します。
「今日、一口に『けじめなき時代』と言われているが、たいていの人は自分の『けじめのなさ』には気づかない。そのくせ他の人たちの『けじめのなさ』はよく目に付いて『ひどい』とか『嘆かわしい』とか言っている。他の人の公私混同を『けしからん』と息巻く人も自分の公私の区別には甘くなりやすい。……というよりも、近頃、おおむね公共心が希薄になった背景にはそういうものがありそうだ。よく例に出される携帯電話だが、その中身はこうなる。かつては家に一台しかなかった電話、それは主に職業上の必要から設置されていた。
だから家業以外に子どもが電話を使うなど許されなかった。どうしても電話したいときは、『ちょっと電話いい?……・』などと声をかけ承諾を得てから使ったものだ。
だが、携帯電話になってその気兼ねがなくなった。子どもだけではない。気兼ねなく電話がかけられ便利にはなったが、人々の心には知らず知らずのうちに他の人への気遣いの心が薄れていった。『いつでも、どこでも、すきな時に』とはケータイ電話の商品としての宣伝は魅力だったが、それが現実のものになってくると『いつでも、どこでも、けじめなく』になってしまったようだ。
大人たちにも、私的なことと公共の場での事の区別、プライベートとパブリックのけじめが、ぼやけてきている。
いかが思われるでしょうか。
「子は親を映す鏡」とも言われます。大人である我々が、けじめをもって行動する必要性をあらためて感じさせられました。