学校日記

11/6  「つきあい」と「おつきあい」

公開日
2014/11/06
更新日
2014/11/06

校長室より

 ずっと以前の日本教育新聞を見ていたら、こんな記事が目にとまりました。なかなか考えさせられる文章でしたので、ここで紹介させていただきます。
 なお、少し長いですが、「なるほど」と思う部分もありますので、全文掲載します。ぜひお読みいただければと思います。。

 普段の生活中で、私たちは、「つきあい」という言葉と「おつきあい」という言葉を上手に使い分けている。どちらも関係のありようを示しているのだが、あなたが、周りの人々との関係を考えた時、「つきあい」の関係の人と「おつきあい」の関係の人に分けることができないだろうか。きっと、前者には家族、親友などが、後者には職場の上司、お隣さんなどが登場してくる。
 「おつきあい」は、相手に合わせる関わり方で表面的。だから、スムーズにいっているように見える。それに対して、「つきあい」はぶつかることを恐れない関わり方で、深い関係が生まれる。
 どちらが良いというのではなくて、今関わっている相手とはどのような関係であるかを意識し、そのままでよいかどうかによって、関わり方を変えていくことが大事である。
 例えば、夫婦や親子の場合、お互いに遠慮ばかりで表面的に過ごしているとすれば(「おつきあい」)、何でも言える深い関係、つまり「つきあい」に持っていかなくてはならない。あなたは、今、どうなっているだろうか。
 「つきあい」という言葉は、もともと角が生えている動物が角と角を突き合うことから生まれた。それは闘争の場面であり、厳しい関わり方ともいえよう。実は、人間も動物と同じように角を持っていると私は思う。角を、「枠組み」と言い換えてもいい。
 人は誰でも自分の枠を持っていて、その中に自分を置いている。枠には外から見えるものと内に隠して見えないものがある。前者は、服装、髪形、表情など。後者は、性格、考え方、感情など。そして、これらの角は基本的にみんな異なっている。
 ところが、私たちは、普段の生活では、争いを避けるためにお互いに自分の角を表に出さず、相手に合わせようとすることが多い。特に考え方が違っている場合などだ。
 けんかを奨励するわけではないが、時にぶつかることがあってもよい。相手が赤い角を見せた場合、自分の角が黒とすると、「おつきあい」では、私も赤ですと相手に合わせることになり、「つきあい」では、はっきりと私は黒ですということになる。
 そこでよく話し合いをすれば、考えは違ったままで相互に理解し合える関係が生まれてくることになる。
 絆というのは、このようなことの重なりから生まれてくるのではないだろうか。
           (星野 欣生著 人間関係づくりの教科書 より)


 どのように思われたでしょうか。
 人間関係は、難しい部分があります。「つきあい」と「おつきあい」を上手に使い分けて、よい人間関係をつくっていきたいですね。