学校日記

9/7 読書の楽しみ

公開日
2014/09/07
更新日
2014/09/07

校長室より

 朝早くは、小雨も降っていましたが、バザーが始まる頃には、こんな秋の空になってきました。秋は、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋などと言われています。この中の「読書の秋」について取り上げてみたいと思います。
 以前、「楽しくなければ読書じゃない」という小文を読んだ覚えがあり、資料を探してみました。この小文は、小説家 阿刀田 高さんが教育委員会月報 平成17年6月号に掲載されていたものです。たいへんおもしろかったので、長文になりますが、前半部分を紹介します。

 のっけから余談である。
 ある夕方,私は仲間と三人で酒を飲んでいた。酒場のカウンターに並んで,
「ビールは全部自然のもので作っているから体にいいんだ」
「清酒はやっぱり二日酔いがきついよな。肝臓を直撃するような気がする」
「蒸留酒のほうがいいんだろ」
「ウイスキーはきついぞ。アルコール分が濃いから」
「薄めて飲めばいい,焼酎の水割り,あれが一番体にいい」
 店はすいていた。私たちのほかにはカウンターの隅で初老の男が一人,孤独な酒を酌んでいるだけだった。
 私たちが健康談議に興じていると,突然,この男がジロンとこっちを睨んで,
「お客さんたちよオ,俺はなにも体にいいことを願って酒を飲んでいるわけじゃないんだ」
 私たちは一瞬キョトンとしたけれど,
「すみません。その通りです」
 男は間もなく店を去って行ったが,そのあとで私たちは大笑い。
「そうだよなア。健康のために酒を飲んでいるわけじゃない」
 私たちの会話は,どの酒が体にいいか,さながら健康を願ってアルコールを飲んでいるような調子だった。
 閑話休題,日本人は生真面目だから,なにをやるにも“ためになる”“役に立つ”などなど大義名分を求めたがる。ただ“楽しいから”だけでは気が引ける。趣味のゴルフにしてからが“健康によろしい”“商談に役立つ”なにか理屈がほしいのである。ノホホンとただひたすら楽しいだけでは我慢ができないのだ。
 なにが言いたいのか,もうおわかりだろう。読書もただ“楽しいから”それだけでもよいではないか。それだけでも人生はずいぶん得をするではないか。もちろん読書には“知識が増す”“思案が深まる”などなど長所がほかにもたくさんあるけれど,私は声を大にして,「楽しいだけでもすばらしいじゃないですか」と叫びたいほうだ。

 いかがでしょうか。なかなか面白い話だと思います。
 阿刀田さんは、自分と本との出会いを述べられています。
 引用すると、「なによりもまず私自身の読書がそこから始まった。小学五〜六年生のころ父親の本棚から落語全集を見つけ出し,ケラケラ笑って読みふけった。」と言うことだそうです。
 やはり、読書は楽しさからですね。私と本との出会いはまた後日掲載します。