学校日記

3/11(水) 日長神社、改めて行ってみたら

公開日
2020/03/11
更新日
2020/03/11

地域の様子

  • 934341.jpg
  • 934342.jpg

https://chita.schoolweb.ne.jp/2320095/blog_img/5931273?tm=20240805123920

https://chita.schoolweb.ne.jp/2320095/blog_img/5934629?tm=20240805123920

「日長神社は1300年の歴史があって、境内の裏にある小さな池は年中水が涸れないんだ」
先日、久しぶりに会った知多中出身の高校の同級生から聞いた。
そう言えば、小学校の遠足で行ったっきり知多中に勤務しながら訪れたことがない。
ならばと夕方出かけた。
日長神社・・・驚くほど大きなクロアリがいて、友達と境内でお弁当を広げた記憶がかすかに残る。
久しぶりの日長神社は長い石段があって、『車馬止』なんて看板があった。
馬もここから入れないのか。

〜日本武尊(「やまとたけるのみこと」)と日長の逸話〜
遠い昔(神代の時代)浜ノ岬に里人が見たことのない大きな船が、砂浜に横倒しになっていた。
砂浜には数十人の屈強な男たちがうち倒れていた。里長を先にして集まった里人たちに従者の一人が「日本武尊」の一行であることを伝えた。里長の指示で、食べ物の用意、けが人の手当て等と総出で働いた。
尊の一行は、帆柱や舵などの船の修理が終わるまで、村に滞在した。修繕するのに十日ほどかかった。滞在中に尊は、岬の高台に登り、そこにあった社の前にぬかずき「危ないところを助けてもらい、親身に勝るもてなしを受けた。お礼の言葉もない。この里が末永く平和で栄えるように」と祈願をした。
岬の先端に立ち、美しい夕日を見て「日の暮れの具合はどうか」とお尋ねになった。
里人は「日はまだ高うございます」と答えると尊は「それでは、この里を日高の里と呼ぶがよい」という由来が残っている。
それが日高→日永→日長(江戸時代の中頃から)と書くようになった。
また、日長神社境内の裏にある小さな池は、滞在中に尊が里人に掘らせたもので、山頂にありながら日照りの年も一年中、水が涸れたことがない不思議な池である。
(神社関係の書類より)

再び訪れてよかった。
道中はおろか、境内に子どもの遊ぶ姿が見られなかったのが寂しかったけれど。
今日はお伴をつれて岡田の街並みでも歩いてみようかしら。